経験と、喜怒哀楽と

自分がガキの頃、教師や年上から「経験積め」と言われる事が一番嫌だった。
単に、目の前のガキ(当時の自分)を納得させるだけの言葉が思い浮かばないから「経験(年齢)」という絶対的に優位な武器を持ち出して見下しているだけにしか思えなかった。


しかし、社会人になり数年が経ち、我々が生きる社会の酸いも甘いも多少なりに味わった今、「経験」は何よりの宝だと実感している。
ここ最近、Twitterや各種SNSニコニコ生放送などを通じて自分より若い方々が様々な悩みを抱えている様子を見ることが多い。
その都度、余計なお節介を焼きたくなってしまうのだけれど、それらの悩みは各々が自力で、あるいは「身近な人間関係の繋がり」によって支えられて乗り越えていくべきものだ。


簡単に例を挙げれば

  • その悩みは時が解決する
  • その考え方はいずれ変わる
  • その行動は自身が今までせっかく築いてきたものを壊す事になる
  • その恋愛はいずれ破綻する(ぇ


と言ったような事。
最近は、この「身近な人間関係の繋がり」がネット上で形成される事も多く見受けられるけれど、近い年代同士の繋がり、あるいは「自分自身の当時の目線」で物事を見ることが出来る大人であれば、それはそれで良いと思っている。


「経験」によって自身が未熟だった頃の記憶を忘れた人間が若い世代に何かを伝えたところで、彼ら(特に10代半ば)は考え方が「Now forever」な傾向にあるので、納得させられる事は少ない。
しかし、現実は「Now forever」ではない、自分や周りの環境も時と共に変わっていく。
それと共に、永遠に続くと信じて止まなかった事がゆっくりと、あるいは唐突に崩れる事もあるということを身をもって実感する。
こういった経験を積む事で、人は強くなっていく。


よって、いちいち「経験者」が出しゃばるべきではない。
口を噤んで、離れたところから見守る事に徹する。
わざわざ口を出して「現実を知る」という貴重な経験を彼らから奪い取ってはならない。


喜びを感じるには、哀しみを知らなければならない。
楽に生きるには、怒る事を知らなければならない。
経験してきた喜怒哀楽のバランスによって、個性が形成されていく。


もちろん、人間にはそれぞれ生まれながらの体質・家庭環境などがあり、それらに応じて感情のキャパシティも異なる。
上の世代は、自分より若い世代を決して見下すのではなく、彼らの持つキャパシティを見定め、それを超えないように見守る事に徹する。