リア充について

リア充」という言葉がある。
10代〜20代の若者の間で比較的多く用いられているこの言葉について考えた。
文字のまま意味をとると「リアル(ネット上ではなく現実)における生活が充実している」になる。
しかしこの言葉、実際は唯一の明確な意味を持たない、とても興味深い言葉だと思う。


自分が考える「リア充」という言葉について簡単に書いてみる。

一番多い使われ方

リア充」の一番多い使われ方は「恋人の有無」を指す事が多い。
特に多く見受けられるのは、彼氏・彼女ができた友人に対して「リア充爆発しろ」などと言う使い方。
これは、仲間内の雑談の中で使用される、言わば囃し言葉みたいなもので、効果的に会話を盛り上げるために使用されている印象。
決して友人を妬んでいる訳ではなく、むしろ祝福の意さえ感じる。
また、単に親しい友人等と楽しい時間を過ごす事に対しても用いられる。

ネガティブな使われ方

普段目にする「リア充」のほとんどは上記の使われ方だが、時々、ネガティブ(特に自分を卑下し他人を羨望する)なイメージで使う人が居る。
こういった使い方をする人は過剰に生真面目で、メンタル面が弱い人が多い。
自分の身近でこういった使い方をする人が居たらそっと見守る形で様子を見たほうが良いと思われる。
あるいは、自分にとってさほど重要でない人であれば遠ざかるか。。。

個人的な考え

リア充」と「恋人・配偶者の有無」は全く異なると考えている。
普段、多少の不満はあれどやるべき事・目標が明確に存在すれば「リア充」。
ただしそのやるべき事の先が現実を伴っていない場合、「一時的リア充」の可能性が高く、
いずれ壁にぶち当たって挫折するような事があった場合のショックが大きく、すべての自信を失い人生を投げてしまう事もあり得る。


後者のような人は、自分が最も理想とする将来(芸能界等)を描き、それに向かってひたすら全力で立ち向かっているパターンが多い。
タレントや声優、作家、イラストレーター、アーティストなどの華々しい職業を目指しても、実際にそれを叶えられるのはごく一握りの人間だけだ。
どんなに努力をしても、才能があっても、タイミングや運、生まれ持った容姿などさまざまな不確定要素がかみ合わない限りその努力が実る事は少ない。

ではどうするか。

例えば中・高・大学と学歴を経て一般企業に就職するような人であっても、一度は上記のような華々しい将来を夢見た事のある人は多いだろう。
しかし、殆どの人はそれを目指さない。あくまで趣味の範囲としてそれらの真似事を行う事で満足を得る。
どうしても真剣にそれら狭き門を目指したい場合、それが実現しなかったときの事も見据えた上で計画を立てる。

まとめ

一番欲しいものを手に入れるにはリスクが大きく、それが手に入らなかった時の反動も同様に大きい。
よって、一番欲しいものだけを求めるのではなく、第二・第三の候補も考慮に入れておく事が大事だと考える。
多くの人は、一番欲しいものを手に入れることを早々に諦め、第二・第三の無難な道を選択する。
もちろん、どちらが良い悪いの話ではなく、夢と現実とを自分で把握して人生設計を立てる事が重要。
例え一番欲しいものへ向かってる道ではないとしても、自身で考え、納得した道を進んでいるのであれば、
現状のそれが「リア充」なのだと思う。